日々感じたことを
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あきつさんの9/26のコメントに関連して、自然権と捉えられる基本的人権と、法律に関係して自分の考えを述べようと思います。表題がすでに答えになっていますが、いわゆる”社会契約論”に近い考えです。

ルソーの『社会契約論』はすでに古典の域かもしれませんが、私はこの中の考え方に近いと考えています。



もっとも、ルソーの『社会契約論』考え方を突き詰めると、皆の身体・財産を保護するためにそれらを含む権利を全部共同体に譲渡することになり、共産主義体制が出来上がってしまいます。私は、そこまで自由がなくなることを容認することはできませんが、皆が自然権を振り回していると収集がつかなくなることに対する解決策として、権利の一部を譲渡する方が良いとは考えています。その、合意を明文化したものが法律でありますから、あきつさんのコメントの最後尾にありました”平等も あくまでも法の下での平等です。”はまさにそのとおりだと思います。

さて、上記のように相互の利益になる範囲で合意し、共同体の意思(ルソーの言うところの一般意思)をもたらすものが主権者であり、国という枠で見た場合は国民主権(ルソーは人民主権としていた)となると考えています。従って、あきつさんが疑問に思われた、私が言うところの”国民の総意”は”大多数の国民の意思”とも置き換えることができるでしょう。もし、自分の意見が少数派であるならば、それを多数派とするべく啓蒙していくべきでしょう。そうやって議論してゆくことが、いわゆる健全な民主主義には必要だと思います。

ところで、”権利の一部を譲渡しない選択”も世の中にはあります。別の見方をすれば”任せない代わりに自分で何とかする”ということになるわけです。日本では特に『華氏911』で有名なマイケル・ムーア監督の作品で『ボーリングフォーコロンバイン』というものがあります。この作品は銃社会を取材したものですが、この中でミシガン州という五大湖に面しカナダと国境を接するところにいる民兵組織を取材した箇所があります。彼らは、外敵から家族や地域の人たちを護るためにやっているとコメントしていました。また、護身用に銃を持つという人もいました。広い国だからという事情もあるかもしれませんが、いざという時に軍や警察が間に合わないかもしれないと考えているわけです。これは、権利を譲渡しない選択の一例だと思います。一方日本では、護身用に銃を持つことは銃刀法により認められませんが、そのような議論が無いことをみると、警察や自衛隊を完全に信頼している証なのでしょうか。


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西暦1762年 - 「社会契約論」「エミール」が発禁に
フランスの啓蒙思想かルソーは、1762年、「社会契約論」「エミール」を出版するが、体制を批判する内容であるため発禁処分になる。
WEBLINK[URL] 【2009/12/28 20:55】


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