日々感じたことを
先のエントリーでも表明したように、私自身は基本的に個人主義者であると思います。これは、現在社会の価値観により自らの中に形成されていったものと考えます。そのような前提に立ったとき、それ以前の特に戦前における価値観について興味をひかれるわけです。

8月15日前後にはよく、戦争と平和についての特集が様々なメディアで行われ、如何に戦争が悲惨で平和が尊いかを説きます。しかし、このような感情に訴えるのみのもので、過去の反省ができるのでしょうか。私はなぜその時、日本人は戦端を開くという選択をするに至ったのかを、当時の価値観・情勢等を省みて検証することこそが、真に次なる戦争状態を回避し国民の利益を護持するために重要な示唆を与えてくれるのではないかと考えるわけです。

この分析については、未だ資料を集めながらでしかありませんが、その資料の中に前のエントリーの私の現在の価値観とは異なる、当時の日本の国家観・国体観を示唆する解説がありましたので紹介いたします。

この本は、明治期から戦後までジャーナリストとして言論人として活躍された徳富猪一郎(蘇峰)による”宣戦大詔”の解説書です。(蘇峰の略歴などは”徳富蘇峰記念館”等を参照ください)1942年3月という開戦から3ヶ月程の時期に発行されています。このころ蘇峰は自身が創刊した”国民新聞”(東京新聞の前身の一つ)から離れて、”東京日日新聞””大阪毎日新聞”(毎日新聞の前身)の社賓となっており、この本も両社の協力の下執筆されています。今では左に寄り過ぎといわれることのある毎日新聞にもこんな時代があったわけです(時代が時代だからかもしれませんが)。

紹介したい箇所は他にもありますが、今回は、「日本国家の特殊性」と題する箇所を以下に引用します。
あきつさんの9/26のコメントに関連して、自然権と捉えられる基本的人権と、法律に関係して自分の考えを述べようと思います。表題がすでに答えになっていますが、いわゆる”社会契約論”に近い考えです。

ルソーの『社会契約論』はすでに古典の域かもしれませんが、私はこの中の考え方に近いと考えています。

しばらく放置してしまいすみません。また、あきつさんのコメントからですが、気候変動がらみで少し書こうと思います。

ここ20年くらいは温暖化が人間の活動に影響を与える気候変動として、警戒されています。ここ100年くらいの長期トレンドを見て、気温が上昇していないという人はいないと思います。しかしながら、これからどう変化するか等については意見が異なることもあります。



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