日々感じたことを
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事業仕分けが進んでいるようです。
国の行う事業の総点検と言う意味で評価すべきものだと思っています。
ただ、科学研究の削減にはもう少し慎重さが必要だったのではないかと思います。

近年では、産学連携という形で民間との共同研究・開発が行われているものがあり、中には起業にまで至っている例もあるようです。民間企業の更なる投資に期待して産学連携関連の予算が削減されたことは、昨今の民間企業の厳しい経営環境に目を瞑れば、一応すじが通っているということになるのかもしれません。

しかしながら、基礎研究分野については問題があるように思います。基礎研究分野は、商品に直結しないようなものも多く、民間企業の投資が進みにくい領域です。電磁気学黎明期の英国で講演を聞いた聴衆から「それはなんの役に立つのか」と問われ「これは未だ赤ん坊のようなものだ」と答えたとの逸話もあります。

日本は第二次大戦後の高度経済成長を経て技術立国としてMADE IN JAPANの商品を世界に送り出してきました。現在、中国が世界の工場となり、其の位置に付きつつあります。人の手を使って安く大量生産するもので日本は中国を越えることは難しいでしょう。中国では国内に大きな所得格差があることが、問題ではあっても、人件費を低く抑えることにも寄与している側面があるわけです。もし日本が同じ土俵で戦う気なら、それと同等の所得で喜んで働く日本人を作り出す必要があるわけです。

日本は、特許や其の他の権利などの知的財産を蓄積し収益につなげるという段階に進むべきではないのでしょうか。そのためにも、このような分野にこそ長期戦略を持って国があたるべきなのではないのでしょうか。
10月28日に法制審議会が、民法の成人年齢について、「18歳に引き下げるのが適当だ」とする答申を法相に提出しました。

---------------------------以下引用----------------------------------------------
成人年齢:18歳が「適当」 法改正は国会判断で--法制審答申

法相の諮問機関・法制審議会は28日、臨時総会を開き、成人の年齢を20歳から18歳に引き下げるのが適当とする意見を取りまとめ、千葉景子法相に答申した。ただし、民法改正の時期は関連施策の実現が必要として「国会の判断に委ねるのが相当」との立場を維持した。今後、鳩山政権が法案化に向けてどのような手続きを探るかが焦点となる。

7月、法制審民法成年年齢部会は公選法改正による選挙権年齢引き下げを条件に、成人年齢も引き下げるのが適当とする最終報告書をまとめていた。総会では「選挙年齢を条件とすれば消極的ニュアンスを与えかねない」との意見もあり、答申はこの条件を省いた。

答申は親の同意が必要だったクレジットカードやローン契約が18歳で可能になることに触れ「現時点での引き下げには(19、18歳の年齢層に)消費者被害拡大などの問題が生じる恐れがある」として、法整備までに若者層の自立を促す施策などの実現が必要とした。

憲法改正手続きを定めた国民投票法(07年成立)は、選挙権年齢を18歳以上と定め、付則で民法と公選法の年齢条文を10年の施行までに検討するとした。このため法制審は08年2月、是非について諮問を受けた。民主党は今年発表した政策集で、成人年齢と選挙権年齢の18歳への引き下げを明記している。【石川淳一】
-------------------------引用終わり-------------------------

日本において成人年齢引き下げ議論が活発になってきたのは、「国民投票法」によるところが大きいと思います。7月に提出された報告書で、選挙権年齢引き下げを条件にするとの文言があったのは、このためだと思います。しかしながら、今回の答申において、その条件を省いたことを私は良いと考えています。


先のエントリーでも表明したように、私自身は基本的に個人主義者であると思います。これは、現在社会の価値観により自らの中に形成されていったものと考えます。そのような前提に立ったとき、それ以前の特に戦前における価値観について興味をひかれるわけです。

8月15日前後にはよく、戦争と平和についての特集が様々なメディアで行われ、如何に戦争が悲惨で平和が尊いかを説きます。しかし、このような感情に訴えるのみのもので、過去の反省ができるのでしょうか。私はなぜその時、日本人は戦端を開くという選択をするに至ったのかを、当時の価値観・情勢等を省みて検証することこそが、真に次なる戦争状態を回避し国民の利益を護持するために重要な示唆を与えてくれるのではないかと考えるわけです。

この分析については、未だ資料を集めながらでしかありませんが、その資料の中に前のエントリーの私の現在の価値観とは異なる、当時の日本の国家観・国体観を示唆する解説がありましたので紹介いたします。

この本は、明治期から戦後までジャーナリストとして言論人として活躍された徳富猪一郎(蘇峰)による”宣戦大詔”の解説書です。(蘇峰の略歴などは”徳富蘇峰記念館”等を参照ください)1942年3月という開戦から3ヶ月程の時期に発行されています。このころ蘇峰は自身が創刊した”国民新聞”(東京新聞の前身の一つ)から離れて、”東京日日新聞””大阪毎日新聞”(毎日新聞の前身)の社賓となっており、この本も両社の協力の下執筆されています。今では左に寄り過ぎといわれることのある毎日新聞にもこんな時代があったわけです(時代が時代だからかもしれませんが)。

紹介したい箇所は他にもありますが、今回は、「日本国家の特殊性」と題する箇所を以下に引用します。
あきつさんの9/26のコメントに関連して、自然権と捉えられる基本的人権と、法律に関係して自分の考えを述べようと思います。表題がすでに答えになっていますが、いわゆる”社会契約論”に近い考えです。

ルソーの『社会契約論』はすでに古典の域かもしれませんが、私はこの中の考え方に近いと考えています。

しばらく放置してしまいすみません。また、あきつさんのコメントからですが、気候変動がらみで少し書こうと思います。

ここ20年くらいは温暖化が人間の活動に影響を与える気候変動として、警戒されています。ここ100年くらいの長期トレンドを見て、気温が上昇していないという人はいないと思います。しかしながら、これからどう変化するか等については意見が異なることもあります。



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